故郷を離れて三十数年、関東で暮らす永遠の少年のどーってことない日記
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天皇陛下が靖国参拝をされない理由 

2013/08/13 00:04/Tue
昭和天皇が1975年(昭和50年)11月21日を最後に靖国神社親拝を行っていなかった事をご存知の方はあまり
多くはないだろう。またその後、今上天皇も同様に靖国参拝を見送っている。
この理由については、A級戦犯合祀説とか、三木首相の「私人」発言説など、諸説囁かれているようだが、どれも
しっくり来ない。
A級戦犯合祀説については、1988年(昭和63年)当時の宮内庁長官であった富田朝彦が昭和天皇の発言・会話を
手帳にメモしていたものが発見され、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことがそこから読み取れる、
と言われているが、恐れ多くも陛下に対し不快感だけを決定的な理由とするのはいささか無理がある。

実はこの謎を解く鍵は、東京裁判の後に執行された処刑と火葬にまつわる裏話にあったのだ。
その詳しい顛末は「ねずさんの ひとりごと」をご覧いただきたい。


そして謎に対する答えは、つまり・・・こうだ。

昭和天皇は、戦後は数年置きに計8度(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)と
靖国神社に親拝を行っていた。
一方、昭和23(1948)年の暮れに、殉国七士のご遺骨が伊豆山中に安置された。その後、三河湾国定公園三ケ根山頂に、
七士の墓碑とご遺骨の埋葬を実現したのは、昭和35(1960)年8月16日のことであった。これが「殉国七士廟」である。
この間、昭和天皇は三ケ根山のグリーンホテルを訪ねては、密かに殉国七士の墓参を行っていた。
ところが、1978年(昭和53年)10月17日、いわゆる「東京裁判」において処刑された人々(特にA級戦犯)が、国家の
犠牲者『昭和殉難者』として靖国神社に合祀される。
これを知った昭和天皇は、お悩みになったに違いない。
そして結果的に、昭和天皇は「殉国七士廟」の方をお選びになったのである。
昭和天皇のお気持ちは我々をもってしても想像に難くない、実に日本人的な選択であったのだ。
そして今上天皇も勿論、昭和天皇の御心を引き継いでおられるはずである。

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